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与那原大綱曳について
与那原大綱曳の始まりは、1500年代の尚永王時代までさかのぼるといわれており、現在まで450年余の歴史を誇っています。 与那原大綱曳は『与那原町の民話』によると、その昔、害虫が発生し稲が不作で人々は餓死寸前まで追い込まれた年があった。 困り果てた村頭は、姥捨て山に捨てた老人に相談したところ、 「野山の草を集めて焼き、皆で鐘やドラを叩き、大声を出しながら綱を曳くように」と教わったという。 その結果、害虫はいなくなったとの言い伝えに由来しているといわれています。
このように、豊作祈願の神事として始まったといわれる大綱曳は、東西の綱の結合により稲の実りを前祝し、勝敗によって豊作、凶作を占うものです。 大綱曳はもともと旧暦6月26日に、町内の拝所で豊年や住民の健康を祈願したあとに行なわれていたが、農家が少なくなったことによる生活環境の変化や、より観光的要素が強くなったことなどから、現在では旧暦6月26日以降の日曜日に行なわれるようになりました。 与那原を象徴する伝統文化として知られており、今では多くの綱曳ファンを魅了しています。
与那原大綱曳は、那覇・糸満と並ぶ沖縄県の三大大綱引きの一つであり、沖縄で一番華やかで力強い綱として有名です。 また、与那原大綱曳には、他の綱曳とは違う大きな特徴があります。 それは、綱の上に支度を乗せることから始まって、綱曳が終了するまでの一連の流れに区切りがなく、すべてが連続した動きであるということです。
それぞれの流れは以下の通りです。 1.支度が綱に乗る 2.綱係の合図に丸太(担ぎ棒)で担ぎ上げる体制に入る
3.ボラ・鉦鼓(そーぐ)の音で「サー」の掛け声のもと、綱を担ぎあげる
4.東西の綱を寄せ合い、六尺棒で雌雄のカナチを結合させる
5.カナチ棒をいれる
6.カナチ棒が入ると同時に綱を落とし曳く。 その時に支度は綱から飛び降り、丸太(担ぎ棒)を綱の下から引き抜くという流れになっています。
特に5のカナチ棒が入ってから綱曳が始まるまでは、あっという間の出来事ですが、この流れこそ、他の地域にはない与那原大綱曳の醍醐味であり最大の特徴です。 また、綱を曳く時も単に「引きずる」のではなく、綱本体を上下させながら(地面に叩きつけながら)曳くことも他では見られない大きな特徴の一つです。 ひきはじめの合図がなく、東西に分かれた雄雌二本の大綱が、カナチ棒で結ばれた瞬間に一気に引きあいます。 一年に一度の町を二分する真剣勝負で、県外の綱引きと別格の大迫力は一見の価値があります!
また、与那原大綱曳は、本番までの間に多くの関連行事があることでも知られています。 祈願祭など、旧暦で決まっている行事もあれば、実行委員会により行われるものもあります。
5月の末頃から8月まで、約3ヶ月間の準備期間を経て本番を迎える町をあげての一大イベントです。
見学のみならず、当日参加も可能なので、ぜひ一度参加してみてください。 ※なお、与那原町の綱ひきは「引き」ではなく「曳き」です。 (那覇市は「挽き」、糸満市は「引き」)