YONABARU NEWS
与那原町からのお知らせ
2018.02.14
東宮殿下(のちの昭和天皇陛下)御上陸記念碑除幕式
2018年3月6日、与那原町のえびす橋東側護岸に建立されました「東宮殿下御上陸記念碑」の除幕式を執り行います。
1921年3月6日(大正10年)東宮殿下はヨーロッパ外遊の途中に、沖縄に立ち寄られました。御召艦香取(おめしかんかとり)の艦長は、沖縄出身の漢那憲和(かんなけんわ)大佐でした。
当時の与那原には、仮桟橋が建設されており、御召艦香取が中城湾に入ると、川越沖縄知事らが機動船で香取に到着、殿下たちは内火艇(うちびてい:エンジン付きの小船舶)に移り、途中伝馬船に乗り換え、仮桟橋に到着されました。
与那原の仮桟橋には紅白の布がまかれ、与那原町民のみならず、近隣村民、児童生徒らが並び奉迎しました。
その後、東宮殿下は徒歩にて漢那小道(漢那スージー)かや馬場通り、現在のえびす通りを経て与那原駅まで進まれ、軽便与那原鉄道にご乗車されて那覇駅へと向かい、県庁まで人力車でお出かけになられています。記念植樹をされ首里城訪問を終えられると、東宮殿下は再び与那原へ向かい、与那原の海から帰艦されたと記されています。
東宮殿下上陸を記念して、上陸第一歩の地として「石ひ」が建立され
「道路の中央に大理石を埋め、且つ其の右側に御せう陸記念と大特筆せる石ひを立ててあった」
と、昭和8年1月14日の沖縄日日新聞の記事には記されています。
ところが、石ひは「防風津波のため流失した」となっており、その後上の森に「東宮殿下御上陸記念碑」が建立されましたが、戦後改修され移設されたまではわかっているものの、その後の行方は不明のまま今日まで至りました。
東宮殿下、のち昭和天皇陛下は、病床で
「思はざる病となりぬ沖縄を たづねて果たさむ つとめありしを」
と、お詠みになられました。
わずか半日の沖縄滞在でしたが、生涯で一度きりの沖縄に熱い思いを馳せられた昭和天皇陛下。
沖縄への思いを、与那原の地でみなさまにも感じとっていただければ幸いです。